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アロマテラピーの歴史・古代編 [アロマテラピー検定問題]

旧石器時代:ネアンデルタール人の埋葬地から花の花粉が見つかった。

5000年以上前:メソポタミア地方で植物の薬としての処方が書かれた粘土版が見つかる。

古代エジプト時代(BC3000年頃~):薫香として使われた乳香や汎薬が重要視されていた。日の出と共に太陽神ラーに乳香が焚かれ、正午には汎薬が、日没には「キフィ」と呼ばれる乳香、汎薬を中心に16種類の香りがブレンドされたものが焚かれた。また、防腐作用のある汎薬がミイラを作るために使われた。
古代での植物の利用方法は主に薫香や浸剤という方法。
薫香は植物を燻すときの煙を利用したもので、神にささげる宗教儀式として使われていた。また、病の元となる悪霊を追い払うためのものだった。
浸剤は薬草を油脂や水に漬け、香り成分を浸出させたもの。体に塗る香油など、主に化粧用に使われていた。

古代ギリシャ時代:古代ギリシャ人は、エジプトから多くの医学的知識を受け継ぎ、植物の香りには、眠気を誘い、またあるときには刺激を与え元気付ける効果があることを知っていた。

ヒポクラテス(BC460~BC375):ギリシャの医学者。
迷信や、魔術、呪術を否定し、病気を科学的に観察することで、現代医学の基礎を築いた「医学の祖」と呼ばれた人。著書は薬用植物についての「ヒポクラテス全集」

テオフラストス(BC373~BC287):ギリシャの哲学者で生物学者。
アリストテレスの弟子。「植物学の祖」と呼ばれ、アリストテレスの動物の分類にならい、植物を分類し系統だった研究を行った。著書は「植物誌」。喬木、潅木、草木などに分類し、属、科といったグループ分けをした薬草の貴重な文献。

アレキサンダー大王(BC356~BC323在位):マケドニア王国の王。
東方遠征により、中央アジア、インドまで領土を広げ大帝国を作り上げた。その結果、東西の交流によってハーブや香辛料が取引されるようになった。ギリシャ文明とオリエント文明の交流により、ヘレニズム文化が開花した。高価な乳香を惜しげもなく使う大王を、家庭教師だったアリストテレスが嗜めたという逸話がある。

古代ローマ時代:ローマ皇帝ネロ(37~68年、在位54~68年):火災を防ぐために、浴室を設ける事を禁止した代わりに、公衆浴場を設置した。熱浴室、微温浴室、冷浴室などがあり、社交場としても機能していた。一般大衆も香油を塗る習慣があったようだ。カラカラ浴場は今も遺跡として残っている。

プリニウス(23~79年頃):ローマの博物学者で軍人。
海外領土総督を歴任。また、植物をはじめ大規模な自然誌の研究者「博物学の祖」

ディオスコリデス(生没不詳 50~70年頃活躍):ローマの医師。
皇帝ネロの統治下で軍医をしていた。広く旅をし、実地研究により薬草学を確立した。植物の特徴や、薬効によって分類された、著作「マテリア・メディカ」に収められている植物は600種、薬物全体で1000項目にも及ぶ記述があり、16世紀まで薬の教科書的存在として、ヨーロッパ、アラビア圏で使われた。現存する写本としては「ウィーン写本」がある。

ガレノス(129~199年):ギリシャの医者で哲学者。
ヒポクラテスの医学を基に古代医学をまとめる。動物の解剖を行い、実験生理学の基礎を築いた。また、ミツロウを利用し、植物油と水を乳化させ、コールドクリームの製剤方を発明した。

BC1200年頃:インドで神々の賛歌集「リグベーダ」を源流に「アーユルベーダ」が生まれた。そしてアーユルベーダは、アロマテラピーに大きな影響を与えた。

2~3世紀:中国では現在の中医学、あるいは漢方と呼ばれる医学の基礎となった最古の薬草学書「神農本草経」がまとめられた。

キリストに献上された三つの宝:乳香、汎薬、黄金(新約聖書)。
乳香は当時非常に高価で、通貨的にも使われていた。シバの女王は乳香を交易に使っていたといわれている。


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